
氷上のストーン
バンクーバー五輪のカーリング。日本チームは残念だったが、連日の試合の中継は興奮した。特に第1戦の対アメリカで、日本に勝ちを呼び込んだ目黒選手のストーンが、測ったように相手のストーンを弾き出し、しかも己は円(ハウス)の中心で静止したのは圧巻だった。
中心から近いところのストーンの数で争われるこの競技。4人が1人2回ずつ投げる攻守を10回繰返し、勝敗はその総得点で決まるが、各回(エンド)に裏表があり、選手も役割や担当があって、ストーンを投げる順も決まっている。しかも、点を取る技術、作戦も単純ではない。野球に似ていると思ったが、こじつけるとカーリングでは、氷の状態が野球の風にあたるようだ。
検索してびっくりしたが、1チーム8個使用のストーンは、@英国のスコットランドで産出の花崗岩で、1セット160万円もする。A20年に1度しか採石しないので、バンクーバーのストーンは2002年の採取である。B氷上を滑っていくストーンは、回転によって意外な方へ曲がることがある。つまり、滑走する速度、氷との間に生じる摩擦の力、それらのもたらす回転の変化で、カールの方向が変わるというのだが、その鍵になるのが氷の状態だという。
「氷が読めない」と目黒は泣いた。だが、帰国後の試合では、大差で勝っている。力だけでなく、若さに溢れる彼女らに、過去は、輝く未来の入口でしかない。
エコカーに思う
トヨタ自動車が新型プリウスをリコールにした。ブレーキを作動させる電子制御システムに不具合のあることが判明、それを無償で直すのをリコールというらしい。メカのことはさっぱりだが、ブレーキが大事なのは筆者でも分かる。
ネットによると、プリウスという車は、トヨタが13年前に量産を開始したエコカー。現在のモデルは三代目で、低燃費、高性質が売りのハイブリッドだ。電動パワーのモーターと燃料回生システムのあるエンジンの組合せによって、市街地などの低速度地域ではエンジンを使わず、モーターだけで走行できる。環境重視の風潮とも合っていると、一躍、人気車種になったが、反面、走行音の少ないのが欠点と言われる。
@結果、歩行者が気づきにくいA特に視覚障害者には危険であり、ユーザーも悩んでいるとあったが、実際、知人のハイブリッドは背中のすぐ後ろで停まっても、分からないことがある。筆者は車いすの電動族だが、後ろからの車の気配は、おもに音で識別する。ところが最近知ったのが、それと分かったときは、車がすでに真横に来ていたり、追い越している場合が多いことだ。騒音や排ガスの減少は嬉しいが、生命の危険は招きたくない。
それにしても、最新技術の結晶のはずが、ブレーキとか、アクセルなど、単純な問題でつまづくとは…単純なものこそ、難解で深遠ということか。
チョコレート
妻の言いつけでチョコレートを買いにデパートに行った。嫁さん(孫の母親)に誕生日祝いであげるためだが、買える金額の範囲で、@それなりの量感があるもの、A洋酒などの入ってないもの、という条件つきだ。「ヴァレンタインで店も出ているから」とナビまで。
行くとなるほど、入口を入ったすぐのところに、陳列のケースを並べて、10店くらい出ている。だが、どんな特徴のチョコなのか、売りはどこか。ゴディバ、レーマン、ブールミッシュ…ブランド名はあっても、筆者には理解不可。2つだけ、モロゾフと風月堂は分かったが、老舗でも風月堂はゴーフルで有名。モロゾフも昭和6年に日本で初めてヴァレンタインデーにチョコを売り出したという説で知名度は高いが、主力商品は洋酒入りのボンボンだ。課せられた条件から、どちらも外れる。困って店を聞いて回った。
*「こちらの特徴は?」「フルーツを練り込んで、女性向けにしています」*「こちらは?」「厳選したカカオで作っています」「だから高いの?」「はい、ベルギー王室御用達です」「そう、王室は関係ないけどね」と嫌味など言ったあげく、やっと決めたのが、2200円の箱入りと、800円の抹茶チョコ。包みにリボンをかけ、車いすのとってに提げてもらうと、これで叱られずに済むとホッとした。
ところで、今年は義理、本命に、友チョコもあるそうだ。チョコ配りも細分化の時代か。
映画「アバター」
ジェイムズ・キャメロン監督のSF映画「アバター」を見た。話題の3次元映像は、その映画館では体験できなかったが、上映時間160分の随所に出てくる特殊画面にデジタルな描写など、迫力満点のシーンの連続だ。前作(タイタニック)の成功も分かると思ったが、それよりも印象に残ったのは、作品自体の奔放な発想と、批判精神の強さだった。
舞台は22世紀のケンタゥルスの星パンドラ。そこにスカイ・ピープル(地球人)の軍の一員として乗り込んだ主人公ジェイクは、パンドラの森の稀少金属を奪いとるため、スパイになってパンドラに棲むナヴィの中に入り込む。ナヴィは人間そっくりだが、青い皮膚で尻尾がある。このナヴィと関係をもつため、ジェイクは人間とナヴィの合成体であるアバターになるが、遺伝子操作で造られたアバターは、人間の意志に動かされる。だが、その目的が侵略であることは、映画の冒頭から明らかで、筆者は対イラク、アフガンでの米国の姿勢を重ねていると思った。
アバターになったジェイクは、ナヴィの女性ネイティリと愛し合い、パンドラの世界にも魅せられる。その結果、攻撃作戦をする軍につくか否か、迫られることになり、アラビアのロレンスのごとく、ナヴィの頭領になって軍と血戦するのだが、立体映像を駆使するこの戦闘シーンは、すべてが鮮烈そのものだ。そして地球人の撤退という結末も、すこぶる象徴的だった。
王朝の和歌守展
もう旧年のことになるが、上野の美術館で「冷泉家―王朝の和歌守展」というのを見てきた。平安時代半ばから江戸の中頃までに及ぶ和歌の古書の一大展示であったが、それらの古書類を守っているのが冷泉家なる歌道の家だそうだ。
先祖は「名月記」で名高い藤原定家の孫の藤原為相(ためすけ)。1千年もの集積だけあって、ならんでいる書誌の量も厖大で、古今集、新古今集、玉葉集等の選歌集から、紀貫之、壬生忠岑、文屋康秀などの個人歌集、それに日記や歌会記録のようなものまであった。知識もなく、変体仮名も読めぬ筆者には、大半が理解不能の山だったが、それでも〈業平朝臣〉という名が目につくと、「わが思ふ人のありやなしや」の歌が出てくる。
新年というと、子どもの頃の記憶にあるのが、百人一首のカルタとりだ。意味も分からず、文字を追っていただけだったが、公卿や女性、僧侶らにまじって、天皇の歌がいくつもあったのを覚えている。筆者が得意にしたのは、「大江山いく野の道の…」というのだったが、作者の小式部内侍は、藤原期の宮廷の女性だ。
文化も権力も宮廷中心の当時、その頂点にいるのが天皇であったことから、天皇と周囲にいた者の歌が栄え、今日まで守られている。展示はそれを教えてくれたが、鑑賞にしかし理屈はいらない。ふと目に入った西行の一首、「こころなき身にもあはれは知られけり…」が、訳もなくうれしかった。
天ぷらの匂い
先日の日曜日。都心に行くため、駅のホームで快速を待っていると、どこからか天ぷらの匂いがする。それも鼻にはっきりくる強さで、海老の大きいのでも揚げているような匂いだ。
思わず周囲を見回したが、ホームにそんなものがある筈がない。「どこから出ているのかな」と同行のTさんに言うと、「そこじゃないかな」とホームに平行しているビルの壁を指差した。私鉄系のデパートだが、建物が駅と接続している。Tさんが差しあたりは食堂街で、そこには確かに天ぷら屋もあって、噂ではアナゴが美味とかいう話だ。
その場はそれで納得したが、後になってもう1軒、天ぷらの店があったのを思い出した。場所は各駅ホームのほぼ真下。肉、魚、惣菜、弁当などの食品売場に接する一角で、以前はパスタ屋だったあとの天丼の店だ。入口に2段、段差があって、筆者だけでは店に入れない。1度は持ち帰りで我慢したが、過日ヘルパーと行って、段差をあげる手伝いを求めると、女性の店員が3人出てきた。
「女性には頼みにくいな」と思わず言うと、客の男性が立ってくる。お蔭で揚げたてを食したが、500円で海老、イカ、アジ、野菜の天ぷらに、赤だしの味噌汁がつく。食事が終わると、今度は別の客が手伝って、難なく段差を車いすで降りたが、それとは別にホームで嗅いだ匂いのもとは、今も分らずにいる。
太宰の足跡
早くも11月。利用している福祉作業所から1分の中央公民館に行くと、庭の隅のサンザシが実をつけ、2本ある夾竹桃の1本で小さい花が咲いている。前にある立て札や石碑によると、それらの木はかつて作家の太宰治が住んでいた家にあったもので、昭和57年の暮に移し植えたという。昭和10年から11年にかけて、当時の船橋町の住民だった太宰が、自身でその夾竹桃を植えたのが最初らしい。
「私はそこで『ダス・ゲマイネ』といふのや、また『虚構の春』などといふ作品を書いた」という文が立て札にある。その船橋在住時に『逆行』が第1回芥川賞の有力候補作となった。ところが選考委員の川端康成の反対で落選、翌年の選考では川端から「この作者、生活に妖しい雲あり」と罵られてしまう。激怒した太宰が抗議文を送ったとかいうのが、ちょうどその頃のことである。
彼が住んでいたのは、今の船橋市宮本1丁目。JR駅から行くと、駅前通りの左側から路地を抜け、海老川という川の橋の付近だが、もう家は残っていない。それに気がつき、いつだかも探索はやめて、途中のカフェに入ってしまった。ハンディのある人たちが働く“ひなたぼっこ”といって、昼どきはランチも食べられる。パスタと焼きおにぎりがあって、おにぎりにはメザシがつく。
そのときは黒ビールも飲んだが、メザシは意外にビールに合っていた。賞を逸した太宰は、どんな酒を呷ったのだろう。
色あせぬわけ
思うことあって、シェイクスピアの『リア王』を読み返した。『リア王』はシェイクスピアの傑作の1つで、主人公リア王の老醜の悲劇が語られている。
老いたリア王は、自分の領地を3人の娘に分けてやると言って、見返りの孝養を娘たちに求める。長女と次女は、虚言をつらねてそれを誓い、愚かな父を喜ばせる。が、末娘のコーディーリアは、「私には何もありません」と答え、姉たちのお為ごかしを指摘する。これに怒ったリア王は、その場でコーディーリアを勘当。彼女は隣国フランスの妃となり、父の許から去る。
以降は一瀉千里で、リア王は長女にも次女にも邪険にされ、家も失い、従者も離され、乱心と狂気のとりことなって、嵐の荒野をさまよう始末。あげくの果ては、陰謀や裏切りで娘を3人とも殺され、みずからも窮死するという大団円だが、その途中に「わしは年をとって馬鹿になった」との台詞がある。(思うことあって)とは、最近の自分の心理状態からの連想で、こうしたリア王の無残な姿が、ふっと頭にうかんだのだ。
つまり、孤独感やら寂寥感やら、老いにまつわる心が出てくるにつれ、そこに重なる影としてリア王を思い出したのだが、いざ読み返してみると、この戯曲は権力と野望、背信と不義、好色と憎悪が渦巻く血なまぐさいドラマである。だが、それこそシェイクスピアが今も色褪せぬ秘密だと再確認した。
それぞれの目的
クリムト、エゴンシーレなど19世紀末のウイーンで活躍した画家の絵画展があった都心のデパートに出かけた。前にやはり絵画展で行ったもう一つの有名店と並ぶ老舗デパート。中に入って、古色横溢のエレベーターのところに行くと、「上に参りまーす」と制服の女性が出てくる。久しく見ていない姿に嬉しくなったが、喫煙所があると聞き屋上で降りた。
芝生の庭とテーブル。そこをいすが囲み、パラソルが開いている。時間が早かったのか、そのときは人気がなかったが、絵画展を見てから、もう一度食事どきに行くと、軽食をとる家族などが何組もいる。一方の隅に簡単フードの売場があって、注文すると持ってくる仕掛けになっていた。喫煙は反対の隅に灰皿があったが、近づくとそこだけ場所が一段高い。了解をとって、その下で一服した。
ふと空を見ると、綿雲が模様をつくっている。色も線も穏やかで、クリムトの官能からも、エゴンシーレの不安からも遠い。下界の音も聞えず、柔らかな日差しの中で、一瞬、時が止まったかのような錯覚に陥る。
我に返ると筆者は、かたわらのTさんに言った。「物産展に行く人は、絵画展は見ないだろうね」。同じフロアーに隣り合って、北海道の物産展が開かれている。
「逆はあるね。クリムトを見てから、蟹メシを買うとか」とTさん。たちまち白い蟹の身が、視野いっぱいに大きくなった。
忠犬?ハチ公
犬の8歳といえば、人間では初老の年齢だ。このごろ若干衰え気味のルーシー。顔つきや毛並みも、幾分か歳とって見えるが、家族と暮らす生活は変わらない。変わったのは家族で、彼女が我が家の一員になったときは、飼い主の妻と筆者だけだったのが、今は長男夫婦に2人の孫も合わせ、合計6人になっている。
その間、ルーシーの暮らしも、こうした変化の影響はあったが、朝夕の毎日の散歩や、食事などの日課は同じだ。夜は筆者がかけている布団の上で眠り、起きると食卓の妻のところに寄ってくる。外出で筆者の出るときは見送り、帰ってくるとドアの側まで迎えに跳ん出くる。妻の話では、筆者の帰宅が遅れたりすると、不安げな様子になるのも、8年間変わらぬようだ。
びっくりするのは、待つときの辛抱強さで、妻が出かけると、5時間でも6時間でも玄関で待っている。伸ばした体を低くして、アゴを下につけ、ひたすら待っている姿は、映画『HACHI―約束の犬』の犬の姿勢と同じだ。主演したリチャード・ギアは、映画公開前の来日時に、「ハチは特定のだれかを待っていたのではない。それが彼の生そのものなのだ」と語ったが、実際、ルーシーの待つ姿を見ると、そこに時間はない。一瞬も永遠も等しい。で、
「私のこともきっと待ってるな」と言うと
「エサをくれない人間など待ってないよ」
妻の答えはにべもなかった。
溶岩の噴出
地滑り的激動で民主党が勝った先日の選挙。ところが周囲で聞くと、「あれほど獲るとは思わなかった」と言う人が多い。同党が勝つことは予想していたが、308議席も獲得するとは思ってなかったというのだ。
「何議席ぐらいだと思ってたの?」と尋ねると、「250くらいだろうなと思ってたけど」、「獲って270程度と見てましたね」と、答えは人によって違ったが、300突破というのまでは、あたまに浮かばなかったらしい。傾向や主張の別なく、軒並み300越えだったマスコミの予想とは、何とも微妙な相違だ。
そこで思ったのが、溶岩の噴出である。昭和から平成、前の世紀から今世紀と、時代の内側で重なってきたものが、この選挙で噴出したのではないか。形は〈政権交代〉でも、実は投票した一人一人の思惑や意識を超えて、何か巨大な力になったのでは…
「時代の節目がきたんじゃないでしょうかね」
と昨日、外出の帰りにお邪魔したTさんのところで言うと、たまたま息子さんも部屋にいて、
「国家像を考えるときですよ」と応じる。
「いや、その前に個々人がどうすべきなのか、何を求めているのかですよ」
と切っ先を合わせたが、この議論は難しい。筆者と同年のTさんは、目を細めて、
「我々世代の者にも、言い遺すことはあるんじゃないですか」と息子を見ていたが、さて、何があるというのか。
介護の現場
3日間だが、ショートステイに行ってきた。市内の住宅地にある施設で、自然も景観も何もないが、東京から友人をよんで旧交を温めたりした。
この施設のステイは4回めで、職員も見知った顔が多く、日課の流れなども経験ずみだ。施設側も、以前は蓄積がないこともあってか、介護も人によってバラバラだったが、いまは1つになっている。最初はなかったマニュアルなどもつくり、協力関係を高めてもいるが、ただしその内容になると、不満はまだある。
たとえば、シャツの脱ぎ着せをするのに、脱がせるのは左から、着せるのは右からというのが、筆者の身体に合っているのだが、それが分からない。被りものでは、袖と一緒にあたまを抜いたり、通したりする。つまり、自分が日常やっているやり方をするだけで、対象にたいする認識がない。
そして、この施設に限らず、前にステイした特養ホームや毎週やってくる訪問入浴でもそうだが、身体が不自由だということは分かっても、どこがどう不自由で、原因は何かの具体的理解に乏しい。くわえてそれによる生活上の不便も思わないから、脳性マヒか脳梗塞かも関心の外だ。
旧交を温めた友人にもそれを言うと、
「その前に介護システムそのものが、このままでは崩壊ですよ」とくる。
「うむ。施設も、地域介護も危機だね」
「しかも、だれも危機と思ってないのが余計ね」
日々をみつめて
3月で前の仕事から離れて4か月、気がつくと8月だ。とりあえず属していた団体に戻り、4月は福祉作業所の立ち上げ、5月はバリアフリー調査、6月は名刺受注の営業と、慌しく送った日々のあと、選挙と天候異常の夏の中で、身に沁み感じていることが2つある。
第1がもう自分は無職なんだということ。3月までは得ていた給与がなくなり、収入と言えるのは年金だけだ。作業所からは月々工賃が出るが、額は5千円に満たない。それに勤め先で雇用保険に入れなかったので、離職すると貰えるはずの失業手当もない。妻がくれる小遣いも極端に減り、昼食代さえ事欠く状態にある。
もう1つがもっと深刻な年齢という現実だ。雇用保険に入れないのもそうだが、この歳ではまた働ける望みはない。いや、そもそも退職した原因がその歳なので、筆者は75歳の後期高齢者になっている。
しかも、この後期高齢者、医療では保険料があり、それも年金から天引きだ。保険料も増えており、介護保険、支援法サービスの負担分と合わせると月額5万円近い。高齢で無収入、年金しかない障害者からも、それを承知でこうした徴収をする政治とは、一体どんな思想から出てくるのか。
高齢者、障害者が負担なく暮らせる社会。医療だけでも、死ぬまで保障してくれる政治。そういう政府や党はないか。そんな気持ちで今の日々をみつめている。
通院に見えた風景
各駅停車の総武線に乗ると、船橋から38分の飯田橋。駅からすぐのビルにある障害者専門の歯科診療センターの常連患者の筆者は、電車を降りるとホームからまっすぐの西口に出る。そのあと右へと曲って行くが、直進すると四つ角があり、横切ると神楽坂だ。
時間があるときなど、何度か行ってみたが、かなりの急坂で、老舗だが洒落た店が並んでいる。が、入れる所があるかというと、車いすでは難しい印象。結局、勝手の分かったビルに戻り、9階に上っていくが、20階建てのここには、東京都の社会福祉協議会や介護機器、ボランティアなどのセンターもあって、8階、9階が歯科部分になっている。
筆者の通院はもう15年を越えるが、いつも予約が同一時間帯の人が10人近い。時間がくると、衛生士がその10人近くを1人1人案内して、2つある診療室のベッドで治療するのだが、医師、衛生士とも、永年勤務の人も多い。昭和40年代の革新都政の遺産とも聞くが、他県からの通院も少なくないようだ。
充実ぶりから当然だろうが、先日、気になることが帰りにあった。電車の同じ車両に、先刻見かけた障害者とその親が乗っている。気になったのは、この2人の席の両側ともが空いていたことだ。途中駅で乗ってくる人が、2人を見ると座すのをやめてしまう。険しい顔の親の隣で、無心に騒ぐ本人の姿が痛切だった。
「天使と悪魔」
舞台はローマのヴァチカン。教皇が死去し、新教皇選びのコンクラーベが始まるが、何者かに4人の枢機卿が誘拐され、1人ずつ殺害すると予告がある。しかも時を同じくして、スイスの原子核機構で盗まれた反物質が、ヴァチカンに持ち込まれた形跡もある。こうした中に乗り込む宗教学者ラングドンの活躍を軸にした「天使と悪魔」は、スリル満点の娯楽映画だ。
主演はトム・ハンクス。監督、原作者も3年前の「Dコード」と同じだが、場所、時間、事件の設定など明瞭な分、「天使…」の方が分り易い。誘拐の4人はつぎつぎに殺され、胸に火、空気、土、水という科学元素の焼き印を捺されていることから、ラングドンは秘密結社〈イルミナティ〉の復讐と推理する。
この映画はその復讐が筋ともなり、結社は400年前のガリレオらへの弾圧からつくられたとされるが、その間の抑圧者と抑圧された者の争いの歴史が出てこない。つまり、画面のフィクションを支えるもう1つの虚構、教皇史の暗部ともいうべきものの造形がないので、科学と宗教の相克というテーマのもっともらしさがうさん臭くなっている。
だが、世界遺産がふんだんの追跡や活劇、謎が謎を生む展開など、面白いのはこの上なし。最後は教皇殺害の露見から、あッと驚く侍従長のどんでん返しまである。で、面白すぎたか、彼の名がカメレオンゴか、カメルロンゲか、思い出せずにいる。
こぶしの花は天上に
3月の今頃になると、ふと思い出す詩がある。
山なみ遠(とほ)に
春はきて
こぶしの花は
天上に
という三好達治の詩であるが、最初にこれに接したのは50年近い前で、しかも達治の詩集でではなかった。雑誌に掲載の小説の中で知ったのだが、この詩の七五調によるイメージと、わけても〈こぶしの花は/天上に〉の詩句が印象的だったのを憶えている。
つまり、いかにも早春という雰囲気があって、それを象徴する〈こぶし〉の鮮やかさが残ったのだが、筆者には植物の知識がない。どんな花かも知らずにいると、いつもその前を通る小公園で、上向きになった花がある。まだ緑のない裸の梢で、真白の壷のような形で揺れている。その瞬間、筆者の中に詩がよみがえり、これと分ったのが何年か前のことだ。
最近は3月がくると気をつけているが、毎年咲いたかと思うと、1週間か10日で散っている。この季節の速い変化を教えてくれるが、改めて知ったのは〈天上に〉という詩の表現の秀逸さだ。静謐で清楚で、しかも空に向って伸びた花の姿を、それしかない1語で表している。
ところで、この詩を書いた昭和19年頃、達治は離婚し、萩原朔太郎の妹と同居している。詩にはこんなつづきがあった。
雲はかなたに
かへれども
かへるべしらに
越ゆる路
高層ビル
12年ぶりに来日した外国の女優が、日本の印象を訊かれて、「東京が高層ビルだらけに変わったので驚いたわ」と話しているのをTVで見たが、今や高層化は地方も同様である。筆者の家の近くでも、六本木ヒルズそっくりの形をしたマンションの建設が進んでいるが、数えると30階をもう越えている。完成すると地上38階、高さ139b、戸数315の予定というが、先日の雨の日など、低い雲が下りていて、ビルの最上部が白く靄っていた。
霞ヶ関ビルが話題になったのは、昭和40年代のはじめだった。36階が評判を呼んだのだが、何年か過ぎて行ってみると、周囲のビルも高くて目だたない。池袋のサンシャインビルは、遠くの高速道路からもよく分ったが、そこの展望台まで上ったときの記憶は残ってない。
東京タワーの体験がなかったので、ここにも数年前に出かけたが、エレベーターを待っている人の多いのに仰天、早々にその場を離れた。障害者運動の国際大会で行ったシドニーで、南半球一という高さのシドニータワーにも登ったが、エレベーターは1回待っただけであった。
ところで、139bのマンションだが、工事は財閥系の企業が行なっている。高さが増すのを見上げながら、ふと浮かぶのが地震の恐怖だ。明治の頃まで海だった土地だ。倒壊すると方向によって、大災害が発生する。市役所も近くにあるが、平気なのかと尋ねたくなった。
ノンステップバス
もう何年にもなるが、筆者は病院のリハビリに通っている。病院への往復は路線バスで、市役所前のバス停から乗ると、15分足らずで病院だ。バスも以前と異なり、今は乗降口の低いノンステップやワンステップが多くなっている。それにこの路線は、短い間隔で頻繁に走っており、その点でも利用しやすい。運転手さんの態度なども好く、いやな目に遭ったこともないが、一つ問題があるのは乗降のときだ。
筆者は車いすなので、バスでも電車同様スロープ板が必要になる。乗り口の下端と地面と繋いで、車いすの乗り降りを助ける道具だが、通常この板は乗り口の真下に格納してある。だから使用の際は、それを先ず出すのであるが、ほとんどの場合、それが巧くいかない。手順としては格納部分の蓋を開け、二つ折りの板を出して、それを広げてスロープにするだけの話だが、蓋を開けるには鍵が要る。ところがマニュアルもないのか、まごつく運転手さんが少なくない。
板の置き方も不慣れであったりして、そういうことから分かるのは、道具は用意してあるが、実際に使ったことはないらしいということだ。つまり車いすでも乗れるバスだが、現実には利用者がいない。勢い点検などもしなくなるのだろうが、それでは見せかけのバリアフリーになってしまう。
障害者にも問題はあるが、筆者のような乗客もいるのだ。必要な手順ぐらいは知っていてほしい。
イスラエルという国 地図で見るとイスラエルという国は、国土の形が魚のエイにそっくりだ。そのエイの右ヒレの上部がヨルダン川西部地域、左ヒレの下端がガザ地区のパレスチナ自治区だが、エイそのものがそう大きくないので、距離だけなら1日で回れる。2002年6月、市民友好ツアーを組んで行ったときも、途中で死海を観光したが、首都のエルサレムから車で2時間かからなかった。
しかし実際に自治区の訪問となると、ことは簡単ではない。どんな小さな町へ入るにも、入口でイスラエル軍の検問があり、身分証などを調べに兵士が車に乗り込んでくる。移動はチャーターしたバスだったが、検問の間は動けない。緊張の時間を何回も経験したが、ガザではバスからも降りて、徒歩でゲートを入らされた。しかも検問が済むと、再び徒歩で反対側のゲートまで行き、別のバスに乗り換える。この間、およそ500b。カービン銃を手にした兵士に囲まれながら、車いすでそこを通ったのを覚えている。
ガザを案内した現地の男性は、一見して兵士の雰囲気。バスのマイクを持つと、「すぐ妥協する指導者もいるが…」とアラファト批判までして、対イスラエル闘争の激しさを口にした。その年は自爆攻撃が頻発、テロか否かで騒がれたが、最近の主役ハマスの名はなかった。東京23区の6割ほどの中に、150万人が住むというガザ。その一人ひとりがハマスだったら…。 |