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言葉にならない被爆者の声を広島から―
自身と社会見つめて欲しい
船橋から広がった 原爆の 絵展
平和を祈る8月、船橋で20年以上続く取り組みがある。広島の体験者が描いた作品を並べる「原爆の絵展」だ。現地資料館に保存されている2225枚から、毎年約100枚ずつ。今や全国に広がる同展、その始まりはここ船橋からだ。今年は、これまでの来場者が寄せた約1000通の声を冊子にまとめ公開している。「若者に是非訴えたい。『戦争はやってはいけない』と」(71歳女性)。
焼け出され逃げ場を求めてさまよう市民、かまどの下敷きになる姉、やけどを負って横たわりウジがわいて悲鳴を上げる叔母…。
同展の会場は、市役所や公民館。高齢者や学生、親子連れなど、その写真よりも悲惨に思える被爆者の「叫び」に、様々な人が足を止める。
「原爆の絵」を描いた人たちは、プロではない。それでも多くの人がひきつけられるのは、「作者個々に、描こうとするイメージが鮮明にあるから」と、船橋で同展を企画した村松七郎さん(81)。絵としては未熟だが「だからこそ、それは絵としての存在よりも『語り部』としての証言になる」と。村松さんは、児童画の専門家。本町で絵画教室を主宰して48年になる。
船橋で同展が始まったのは84年。広島で作品を見て衝撃を受けた村松さんが、作品の貸し出しを申し出た。村松さんは戦後間もないころ、友人と働きかけ、アメリカ従軍記者ジョン・ハーシーによる広島被爆の取材記事を「ヒロシマ」(法政大学出版局)として出版した経験を持つ。
自身、父と姉を東京大空襲で失った。亡くなった人はもちろん、生き残った人でさえ空襲の悲惨な話は言葉にならない。だから、「ここに残された『原爆の絵』を見てもらいたい」。そして、「自分がどう生きたいかを考え、社会を見つめて欲しい」。
初回から20年以上が過ぎ、今、船橋・習志野など近隣7市で「平和のつどい原爆の絵展ネット」が組織されている。
アンケート集は1冊300円。市役所を除く展示会場で頒布している。
(2006/8/5)
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